連休だったのでひとりで太宰府に行ってきました
会社の研修が台風で中止になった影響で連休ができちゃったのでちょっと太宰府に行ってきました。
太宰府市(だざいふし)は、福岡県中西部の筑紫地域に位置する市である。 九州地区の統治組織「大宰府」が置かれた事により栄えた。太宰府天満宮などの史跡が多くあり、毎年700万余りもの観光客が訪れる観光都市でもある。
さて今回なぜ太宰府に行ったか。
それは近いからである。紛れもなく。
いやほんとは山口とか広島とかも考えたんですが、何せ突然の連休だったもので
どうせそういうとこ行くならちゃんと計画立てて行きたいなーと思ったのです。
で、どっか近場で旅行気分が味わえるところないなーと考えた時に思いついたのが、家から地下鉄とJRを乗り継いで40分で着いちゃう有名な観光スポット「太宰府」
太宰府天満宮へ
太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)は、福岡県太宰府市にある神社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は梅紋である。菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)。初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年700万人以上の参詣者がある。現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されている。
観光スポットらしいお土産街です。
ちなみに中国・韓国の観光客がすごく多かったです。
着きました。
近くで見ると美しさに圧倒されます。
写り込んじゃった人たちをレタッチしたらちょっと怖くなった。
九州国立博物館へ
実は太宰府に来た目的は「太宰府天満宮」ではなくてこっちの「九州国立博物館」でした。
100年以上の歴史を有する東京・京都・奈良の3つの国立博物館が美術系博物館であるのに対して、九州国立博物館は歴史系博物館として設立された。九州が日本におけるアジア文化との交流の重要な窓口であった歴史的かつ地理的背景を踏まえ「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える博物館」を基本理念に、旧石器時代から近世末期(開国)までの日本の文化の形成について展示している。 また、アジア地方各地との文化交流を推進する拠点としての役割も持って建設されているため、アジア各地の民族美術の展示が行われたり、実際に体験できるようになっている。 岡倉覚三(天心)が九州にも国立級の美術館・博物館が必要であると説いてから100年。太宰府天満宮をはじめ関係各所の熱意により念願は結実し、現在では年間100万人以上の来場がある施設となっている。なお、九州で最も初詣の参拝客が多い同天満宮そばにあることから、他の国立博物館とは異なり元日から開いている。ただし、年末には12月25日頃から閉館するので注意が必要である。 日本において国立文化財機構が運営する「国立博物館」を称する博物館としては1897年設立の京都国立博物館以来、108年ぶりに新設された。日本の国立文化財機構が運営する国立博物館の中で最大の敷地面積と、1つの建物としては30,085m²と最大の延床面積を持つ博物館であり、開館当時はこのことが話題となった。
もちろん館内の展示も「さすがは国立!」といった感じで素晴らしかったのですが、
何よりも圧倒されたのは九州国立博物館の建物そのもの。
写真では伝わりにくいですが実際に見るとかなり圧倒されます。
デザインは菊竹清訓氏
福岡県久留米市出身。1944年、早稲田大学専門部工科建築学科入学。1945年に久留米駅舎コンペで1等、1948年に広島平和記念カトリック聖堂コンペで3等を獲得するなど、在学中から既に活躍していた。1950年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同年竹中工務店、1952年村野・森建築設計事務所を経て、1953年に菊竹清訓建築設計事務所を開設。 1960年代後期から70年代にかけ、独自のデザイン論である『代謝建築論 か・かた・かたち』を掲げ、黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとするメタボリズムを提唱する。1995年に早稲田大学より博士(工学)を取得(博士論文「軸力ドームの理論とデザイン」)。早稲田大学理工学部講師(1959年)、千葉工業大学教授(1989年)、早稲田大学理工学総合研究センター客員教授(1993年 - 1998年)を歴任。2000年にユーゴスラヴィア・ビエンナーレにて「今世紀を創った世界建築家100人」に選ばれている。 1970年の日本万国博覧会(大阪万博)では『エキスポタワー』、1975年の沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)では『アクアポリス』を設計し、1985年の国際科学技術博覧会(つくば科学万博)ではマスタープラン作成委員としてBブロックの会場計画および外国館の設計を担当、2005年日本国際博覧会(愛知万博)では総合プロデューサーとして会場計画を担当するなど、日本国内で開催されてきた国際博覧会にも深く関わってきた。他にも地方博覧会では、1988年のなら・シルクロード博覧会でハード担当プロデューサーを務めた。 2011年12月26日、心不全のために死去[1]。83歳没。 1960年代の後半の数年間、菊竹の事務所に勤めた経験を持つ伊東豊雄は、菊竹を「恐らくこのような狂気を秘めた建築家が今後あらわれることはないだろう」と高く評価している[2]。
久留米出身の方なんですね。
日本でここにしかないスタバ
太宰府といえばこの独特なデザインの「スターバックスコーヒー」
建築家の隈研吾氏のデザインです。
隈 研吾(くま けんご、1954年(昭和29年)8月8日 - )は、日本の建築家(一級建築士)。株式会社隈研吾建築都市設計事務所主宰。東京大学教授(博士(学術))。木材を使うなど「和」をイメージしたデザインが特徴的で、「和の大家」とも称される[1]。
中にも入ってみたかったのですがあまりにも人が多すぎて諦めました。笑
そしてわたしは気づいた
「あれ?連休なのに1日で帰ってきちゃったよ。」
明日はゆっくり寝ます。
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